アンドレイ・ユーリエヴィチ (ガーリチ公)

アンドレイ・ユーリエヴィチロシア語: Андрей Юрьевич、? - 1323年頃)は、ガーリチ・ヴォルィーニ公国の統治者ユーリーの子である。母はクヤヴィ公カジミェシュ1世の娘エウフェミア(ru)[注 1]。父ユーリーが死亡した後、兄弟のレフとその所領を共同統治した。また、レフはガーリチをその本拠とし、アンドレイはヴォルィーニを本拠地とした。

アンドレイ・ユーリエヴィチ
Андрей Юрьевич
ハールィチ・ヴォルィーニ大公
在位1308年 - 1323年

死去1323年頃
子女アンナ
家名リューリク家
父親ユーリイ・リヴォーヴィチ
母親エウフェミア・クヤヴスカ
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生涯

アンドレイはポーランド王ヴワディスワフ1世ドイツ騎士団との間に密接な同盟関係を築き、ジョチ・ウルスの干渉を減らそうと務めた。アンドレイ、レフ兄弟の統治期間は、長期にわたる、ジョチ・ウルス、リトアニア大公国との戦いの時期にあたっていた。最終的にはレフとともに戦死するが、それはジョチ・ウルスとの戦闘であるとする説、あるいはポドリャシエ(ru)[注 2]をめぐるリトアニアとの戦闘におけるものであるとする説がある[1]

アンドレイには後継者がいなかったため、当初は兄弟のレフの子のウラジーミルが相続したが[2][3]、後にボレスワフ(アンドレイの姉妹のマリヤ(ru)の子。父はマゾフシェ公トロイデン(ru))が公位に招かれた。

アンドレイの娘・アンナはリトアニアのリュバルタスに嫁いだ[4]

脚注

注釈

出典

先代
ユーリー
ハールィチ・ヴォルィーニ大公
1308年 - 1323年
次代
ウラジーミル
ボレスワフ・ユーリー2世