アンドリュー・ベイリー

アメリカの野球選手 (1984 - )

アンドリュー・スコット・ベイリーAndrew Scott Bailey, 1984年5月31日 - )は、アメリカ合衆国ニュージャージー州カムデン郡ブアーヒーズ・タウンシップ英語版出身の元プロ野球選手投手)、野球指導者。右投右打。現在は、MLBサンフランシスコ・ジャイアンツの投手コーチを務める。

アンドリュー・ベイリー
Andrew Bailey
ボストン・レッドソックス コーチ #53
ボストン・レッドソックスでの現役時代
(2013年6月15日)
基本情報
国籍アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地ニュージャージー州カムデン郡ブアーヒーズ・タウンシップ英語版
生年月日 (1984-05-31) 1984年5月31日(40歳)
身長
体重
6' 3" =約190.5 cm
235 lb =約106.6 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション投手
プロ入り2006年 MLBドラフト6巡目
初出場2009年4月6日
最終出場2017年8月15日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴

経歴

プロ入り前

少年時代は熱狂的なフィラデルフィア・フィリーズファンとして育った[1]2005年MLBドラフト16巡目(全体475位)でミルウォーキー・ブルワーズから指名されたが、契約には至らなかった。

プロ入りとアスレチックス時代

オークランド・アスレチックスでの現役時代
(2011年7月31日)

2006年MLBドラフト6巡目(全体188位)でオークランド・アスレチックスから指名され、6月20日に契約。契約後、傘下のA-級バンクーバー・カナディアンズでプロデビュー。13試合(先発10試合)に登板して2勝5敗、防御率2.02、53奪三振を記録した。

2007年はA級ケーンカウンティ・クーガーズ、A+級ストックトン・ポーツ、AAA級サクラメント・リバーキャッツでプレー。A+級ストックトンでは11試合に先発登板して3勝4敗、防御率3.82、72奪三振を記録した。

2008年はAA級ミッドランド・ロックハウンズでプレーし、37試合(先発15試合)に登板して5勝9敗、防御率4.32、110奪三振を記録した。

2009年4月4日にアスレチックスとメジャー契約を結んでアクティブ・ロースター入りし、6日のロサンゼルス・エンゼルス戦でメジャーデビュー。その後はブラッド・ジーグラーに代わりクローザーを務め、オールスター初選出を果たした[2]。この年は68試合に登板し、26セーブを記録した実績を認められ、アメリカン・リーグ新人王に選出された。

2010年3月8日にアスレチックスと1年契約に合意した[3]。この年は47試合に登板して1勝3敗25セーブ、防御率1.47、42奪三振を記録した。7月には2年連続でオールスターに選出された。

2011年2月27日にアスレチックスと1年契約に合意[4]。この年は42試合に登板して0勝4敗24セーブ、防御率3.24、41奪三振を記録した。

レッドソックス時代

2011年12月28日にジョシュ・レディックラウル・アルカンタラ、マイルズ・ヘッドとのトレードで、ライアン・スウィーニーと共にボストン・レッドソックスへ移籍[5]

2012年1月25日にレッドソックスと390万ドル+出来高10万ドルの1年契約に合意した[6][7]が、シーズン開幕直前の4月4日に右手親指の再建手術を受けるために故障者リスト入りした[8]。復帰したのは8月14日だった。最終的に19試合の登板で防御率7.04と期待を裏切る結果となった。

2013年1月18日にレッドソックスと1年契約に合意[9]。この年は中継ぎとしてシーズンを迎えるが、4月中旬に抑えのジョエル・ハンラハンが故障者リスト入りすると、代わりの抑えとして指名された[10] 。その間8セーブを記録するも、肩を故障し、戦線離脱する。MRIの結果、右肩関節唇の裂傷と判明。7月24日に手術を受け、そのままシーズンは終了した。オフの12月2日にノンテンダーFAとなった[11]

ヤンキース時代

2014年2月22日にニューヨーク・ヤンキースとマイナー契約(2015年の球団オプション付き)を結び[12]、3月7日に入団した。この年は前年の手術の影響でシーズンを全休した。オフの11月4日にヤンキースが球団オプションを破棄したが、8日にマイナー契約で再契約した[13]

2015年9月1日にメジャー契約となり、アクティブ・ロースター入りした。2年ぶりにメジャーのマウンドに登ったが、10試合の登板で防御率5.19を記録した。オフの11月4日にFAとなった[14]

フィリーズ時代

2015年12月17日にフィリーズとマイナー契約を結び、2016年スプリングトレーニングに招待選手として参加することになった[15]。開幕は傘下のAAA級リーハイバレー・アイアンピッグスで迎えたが、4月20日にメジャー契約を結んでアクティブ・ロースター入りした[16]。8月2日にDFAとなり、6日に自由契約となった[14]。フィリーズを出るまでに33試合にリリーフ登板し、3勝(1敗)を挙げたものの防御率6.40と打ち込まれた。

エンゼルス時代

2016年8月13日にエンゼルスとマイナー契約を結び、傘下のAAA級ソルトレイク・ビーズへ配属された[14]。9月2日にメジャー契約を結んでアクティブ・ロースター入りした[14]。エンゼルス加入後は12試合に登板し、クローザーも務めて防御率2.38、6セーブをマークするなど復活した。シーズン全体では、45試合の登板で3勝1敗6セーブ、防御率5.36、WHIP1.33という成績だった[14]。11月3日にFAとなった[17]が、9日に1年100万ドルでエンゼルスと契約を結んだ[18][19]

2017年は右肩の怪我で長く故障者リストで過ごしたため、4試合の登板にとどまった。

引退後

サンフランシスコ・ジャイアンツ投手コーチ時代
(2023年6月13日)

2018年2月26日に現役引退を表明し、今後はエンゼルスのコーチ補佐とリプレイ・コーディネイターを務めることが報じられた[20]

2019年シーズンにはエンゼルスのブルペンコーチに就任した[21]

2020年シーズンからはサンフランシスコ・ジャイアンツの投手コーチに就任した[22]

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
2009OAK68000063262.66732383.14952430916017171.840.88
201047000013250.25018949.034313104200881.470.96
201142000004241.00017041.23431220410018153.241.10
2012BOS1900001161.5007415.1212820140112127.041.89
20133000003188.75011628.22371200390012123.771.22
2015NYY1000000100.000418.292510600855.191.62
2016PHI3300003105.75014432.13261501332123236.401.45
LAA1200000060----4611.191201810332.380.97
'16計4500003165.75019043.24171702413126265.361.33
20174000020001.000134.010000200000.000.25
MLB:8年265000016149517.5331116274.121229919227692101953.121.10

年度別守備成績



投手(P)












2009OAK687910.941
20104745001.000
20114214001.000
2012BOS1901001.000
20133010011.000
2015NYY1022001.000
2016PHI3312001.000
LAA1202011.000
'16計4514011.000
201740000----
MLB265162512.976

表彰

記録

背番号

  • 40(2009年 - 2013年)
  • 38(2015年 - 2016年途中)
  • 37(2016年途中 - 2017年)
  • 68(2019年)
  • 84(2021年 - )

脚注

関連項目

外部リンク

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