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トニーニョ(Toninho)またはトニーニョ・セシーリオ(Toninho Cecílio)ことアントニオ・ジョルジ・セシーリオ・ソブリーニョ(Antônio Jorge Cecílio Sobrinho, 1967年5月27日[2] - )は、ブラジル・サンパウロ州出身の元サッカー選手、サッカー指導者、クラブスタッフである。ポジションはディフェンダー(センターバック)。日本での登録名はトニーニョ (Toninho) 。
来歴
パルメイラスの下部組織で育ち、1986年にプロ契約を結ぶ[3]。パルメイラスでは1992年まで在籍して267試合出場12ゴール[4]、1990年から1993年までキャプテンを任された[3]。1990年にはパウロ・ロベルト・ファルカンによってブラジル代表に選出された経験がある[3]。1994年からは日本のジャパンフットボールリーグ (JFL)・セレッソ大阪に移籍し、1994年のJFL優勝・Jリーグ参入に貢献した[3]。また、第74回天皇杯全日本サッカー選手権大会準決勝の横浜マリノス戦では決勝点を決めて決勝進出に貢献した[5]。Jリーグ昇格後も1シーズンレギュラーとしてプレー、前期26節のサンフレッチェ広島戦でJリーグ初ゴールを決めた[6]。
1996年にコリチーバでブラジルに復帰。その後も複数のクラブでキャプテンを務め、2001年にサント・アンドレで引退した[3]。
1990年にパウリスタ大学の広告・宣伝学科を卒業し[3]、1990年から1993年までサンパウロ州プロアスリート労働組合の会長も務めた[3]。
選手引退後はブラジルのクラブにて監督やクラブスタッフを歴任している。2004年10月から2005年1月までポルトゥゲーザ・サンチスタのサッカー責任者[3]、2007年から2010年までパルメイラスのサッカー責任者を務めた[7]。
選手経歴
[3][8]
個人成績
指導歴
[1]
脚注
外部リンク