アルフレート・アインシュタイン

ドイツ系アメリカ人の音楽学者・音楽史家

アルフレート・アインシュタインAlfred Einstein, 1880年12月30日 - 1952年2月13日[1])は、アメリカへ帰化したドイツ音楽学者音楽史家

アルフレート・アインシュタイン

生涯

ミュンヘン生まれ。法律学を専攻していたが、やがて音楽学に転じ、後期ルネサンス音楽ならびに初期バロック音楽、特にヴィオラ・ダ・ガンバ音楽の研究で博士号を取得。1918年、"Zeitschrift für Musikwissenschaft"誌の主筆となり、次いで"Münchner Post"紙の音楽批評欄を担当。1927年、"Berliner Tageblatt"誌で音楽評論を担当。このころ、作曲家ハインリヒ・カスパール・シュミット(de:Heinrich Kaspar Schmid)と親交を結ぶ。

1933年ナチが台頭するとドイツからロンドンに亡命。次いでイタリアに移り、1939年にはアメリカ合衆国に亡命。スミス大学コロンビア大学プリンストン大学ミシガン大学ハートフォード大学ハート音楽院(en:University of Hartford Hartt School)で音楽学を教える。

専門は音楽史研究全般で、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト音楽の研究、とりわけケッヘル目録の改訂やケッヘル・アインシュタイン番号、著書『モーツァルト、その人間と作品』などがよく知られている。ただし、アインシュタインの死後にモーツァルトの自筆譜などの新資料が発見され、メイナード・ソロモンらにより研究が進められているため、アインシュタインの著作の内容は今日では否定されているものがあり注意が必要である。

1952年カリフォルニア州コントラコスタ郡エルサリートで死去し、同地のSunset View Cemeteryに埋葬された[2]

アルベルト・アインシュタインとの関係

著名な物理学者であるアルベルト・アインシュタインの親族であるとされており、従弟とする資料[3] もあるが、無関係とする資料[4]もある。モイゼス・アインシュタイン(Moyses Einstein)を7代前の共通の先祖とする説[5]もある(これに従うなら両者は六従兄弟 sixth cousin、すなわち傍系14親等の関係になる)。一方、アルベルトの娘エーファは、アルベルト・アインシュタインの家系図にアルフレートの名は登場しないと主張している[6]。ちなみに、アルベルトも音楽好きでヴァイオリンの演奏が趣味であった。

表記について

日本語では「アルフレッド・アインシュタイン」という表記がされることもあるが、ドイツ語読みでは「アルフレート・アインシュタイン」、英語読みでは「アルフレッド・アインスタイン」となる。

日本語訳

脚注