アリー・ムラード・ハーン | |
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ザンド朝 シャー | |
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在位 | 1779年 1782年 - 1785年 |
死去 | 1785年2月11日 マーザンダラーン |
王朝 | ザンド朝 |
父親 | アッラー・ムラード・カイタス・ハーン |
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アリー・ムラード・ハーン(? - 1785年2月11日)は、ザンド朝の第4代・第6代君主(在位:1779年、1782年 - 1785年)。
父はカリーム・ハーンの一族であるアッラー・ムラード・カイタス・ハーンである。1782年に先代のサーディク・ハーンに対して反乱を起こして殺害し、跡を継いだ。だがこの頃にはイラン北部でカージャール朝のアーガー・モハンマド・シャーが勢力を拡大しており(アーガー・モハンマド・シャーはカリーム・ハーンに捕らえられていたが、1779年にカリームが死ぬとシーラーズを脱出していた)、アリーは彼と抗争するも敗れて1785年にマーザンダラーンで戦死した。
カリーム・ハーン1750-1779 / ムハンマド・アリー・ハーン1779 / アブル・ファトフ・ハーン1779 / アリー・ムラード・ハーン1779 / サーディク・ハーン1779-1782 / アリー・ムラード・ハーン1782-1785 / ジャアファル・ハーン1785-1789 / ルトフ・アリー・ハーン1789-1794 |