アスベル・キプロプ

アスベル・キプロプ(Asbel Kipruto Kiprop、1989年6月30日 - )はケニア陸上競技選手、専門は1500mを主とする中距離走リフトバレー州ウアシンギシュ県出身。北京オリンピック男子1500m金メダリスト。ラシド・ラムジのドーピング違反・失格を経て、2009年に金メダルを獲得した[1]

アスベル・キプロプ
Asbel Kiprop
Portal:陸上競技
選手情報
国籍 ケニア
競技陸上競技
種目800m, 1500m
所属ケニア警察
生年月日 (1989-06-30) 1989年6月30日(35歳)
生誕地リフトバレー州ウアシンギシュ県
身長188cm
体重62kg
コーチ担当者フェデリコ・ロサ
自己ベスト800m : 1分43秒15
1500m : 3分26秒69
1マイル : 3分48秒50
3000m : 7分42秒32
獲得メダル
陸上競技
 ケニア
オリンピック
2008 北京1500m
世界陸上競技選手権大会
2011 大邱1500m
2013 モスクワ1500m
2015 北京1500m
アフリカ陸上競技選手権大会
2010 ナイロビ1500m
2014 マラケシュ1500m
2008 アディスアベバ800m
アフリカ競技大会
2007 アルジェ1500m
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2007年世界クロスカントリー選手権ジュニアを勝った後、同年のアフリカ競技大会1500mを制した。世界陸上競技選手権大会1500mは大阪ベルリンの4位を経た後、大邱モスクワ北京の3大会連続優勝を達成した。

人物

エルドレット近郊にあるカプティンガ村の出身。キプロプによると、名の「アスベル」は「断固たる」を意味するものである[2]。父のデイヴィッド・ケベネイは1987年アフリカ競技大会1500m4位となった経歴の持ち主であり、弟のヴィクトル・キプチルチル・ケベネイも陸上競技選手という家庭に育った[3]。キプロプはシマト初等学校に在学中の13歳から陸上競技をはじめた。後には練習に集中するために高校を中退した[4]。キプロプは2006年にキプチョゲ・ケイノ・ハイ・パフォーマンス・トレーニング・キャンプに入り、現在も指導を受けている[5]。このキャンプはエルドレッド近郊の標高2000mを超える高地に位置し、ケニアの名門トレーニング施設として知られる[6]

経歴

2007年はキプロプにとって躍進の一年となった。3月の世界クロスカントリー選手権ジュニアで優勝、7月のアフリカ競技大会1500mも優勝を飾った[7][5]大阪で開催された8月の2007年世界陸上競技選手権大会1500mにはケニア代表として出場を果たし、自己記録を更新して4位に入った[8]。これらの功績が認められて、2007年ケニア最優秀スポーツ選手賞の最優秀新人部門を受賞した[9]

キプロプは2008年アフリカ陸上競技選手権大会に出場して800mで銅メダルを獲得、1500mで4位に入った。北京オリンピックでは400mを先頭で通過、その後も先頭集団でレースを進めたが、猛然と追い上げたラシド・ラムジに僅かに抜かれて金メダルを逃した[10][11]。しかし、ラムジは大会後の薬物検査で新型のエリスロポエチンである指定禁止薬物・持続性エリスロポエチン受容体活性化剤の陽性反応を示し失格、2009年に金メダルを剥奪された[12]。キプロプは金メダルが授与されることが決定したのちロイター通信から受けた取材に対して、表彰台上でケニア国歌を聴けなかった悲しみと薬物違反への悲しみをぶちまけている[13]。キプロプは9月のIAAFワールドアスレチックファイナルでハロン・ケイタニーに次ぐ2位に入りこの年を終えた。

2009年8月の世界陸上競技選手権大会1500m決勝では、スローペースであるにもかかわらず集団の後方でレースを進めてしまい、見せ場が無いまま4位に敗れた [14][15]。800mにも出場したが予選2組7着で敗退している。

2010年7月、ナイロビで開催されたアフリカ陸上競技選手権大会1500mでは3分36秒19の大会新記録を樹立して優勝を飾った[16]。キプロプはこの年に新設されたIAAFダイヤモンドリーグに参戦。ビスレットゲームズ、プリフォンテーンクラシック、ロンドングランプリで勝利を収めたのち、8月のメモリアルヴァンダムを制して男子1500mの年間王者に輝いた[17]。アフリカ代表として9月のIAAFコンチネンタルカップ1500mにも出場したが6位に敗れている[5]

2011年、大邱で開催された世界陸上競技選手権大会1500m決勝で同じケニア代表のライバルであるサイラス・キプラガトを破って優勝、初めて世界選手権で金メダルを獲得した。2011年のダイヤモンドリーグ上海2位、オスロ1マイル1位、パリ2位、ストックホルム1位の成績を残してポイント争いの首位に立っていたが、9月8日の最終戦・チューリッヒは7位に入るのがやっとで、ニクソン・チェプセバに年間王者をさらわれた[18]

2012年1月、グレートエディンバラクロスカントリーでエリウド・キプチョゲケネニサ・ベケレを破って優勝した[19]。8月、ロンドンオリンピック1500mは、決勝でレース中にハムストリングを痛め、12位に終わった[20]。同年のダイヤモンドリーグドーハで2位の後、ユージーン、オスロ、モナコの3勝を上げてポイント争いの首位に立ったが、最終戦のブリュッセルで5位に終わり年間王者を逃した[21]

2013年7月19日、モナコで行われたヘラクレス1500mで世界歴代4位(当時)となる3分27秒72を記録した。8月18日、モスクワで開催された世界陸上競技選手権大会1500m決勝は最後のホームストレートで抜け出して優勝、2大会連続金メダルを獲得した[20]

記録

種目記録場所日付備考
800m1分43秒15モナコ2011年7月22日
1500m3分26秒69モナコ2015年7月17日世界歴代3位
1マイル3分48秒50ユージーン2009年7月6日
3000m7分42秒32トリノ2007年6月8日

主な戦績

大会名開催地種目結果記録
2007世界クロスカントリー選手権 モンバサジュニア8km優勝24分07秒[22]
アフリカ競技大会 アルジェ1500m優勝3分38秒97
世界陸上競技選手権大会 大阪1500m4位3分35秒24
2008アフリカ陸上競技選手権大会 アディスアベバ800m3位1分46秒02
アフリカ陸上競技選手権大会 アディスアベバ1500m4位
オリンピック 北京1500m優勝3分33秒11
IAAFワールドアスレチックファイナル シュトゥットガルト1500m2位3分37秒93
2009世界陸上競技選手権大会 ベルリン1500m4位3分36秒47
世界陸上競技選手権大会 ベルリン800m予選
2010アフリカ陸上競技選手権大会 ナイロビ1500m優勝3分36秒19
IAAFコンチネンタルカップ スプリト1500m6位3分38秒81
2011世界陸上競技選手権大会 大邱1500m優勝3分35秒69
2012オリンピック ロンドン1500m12位3分43秒83
2013世界陸上競技選手権大会 モスクワ1500m優勝3分36秒28

脚注

外部リンク