「特殊作戦軍 」はこの項目へ転送 されています。
「特殊部隊 」が正式名称である日本警察の特殊部隊については「特殊急襲部隊 」を、世界の特殊部隊については「特殊部隊の一覧 」をご覧ください。
アメリカ海軍 の特殊部隊Navy SEALs 特殊部隊 (とくしゅぶたい、英語 : special forces )とは、軍隊 や法執行機関 の一般部隊とは遂行すべき任務と部隊の編制が異なる部隊 のことである。敵地への潜入・偵察 や破壊工作 、人質救出 ・対テロ作戦 など、一般部隊では対応できない特殊な事案への対処を担当しており[2] 、軍で特殊作戦 を担当する部隊は特殊作戦部隊 (とくしゅさくせんぶたい、英 : special operations forces, SOF )とも称される。
概要 特殊作戦 の構成要素であるゲリラコマンド による奇襲攻撃は、古くから見られてきた。ナポレオン戦争 中の半島戦争 では、フランス軍 の侵攻にスペイン やポルトガル の民兵 が対抗し、「ゲリラ 」の語源となった。また第二次世界大戦 では、イギリス軍 のブリティッシュ・コマンドス やドイツ国防軍 のブランデンブルク 部隊など、敵勢力の後方地域においてコマンド部隊 による奇襲攻撃などが展開された。
冷戦 期には革命闘争 の一環としての不正規戦争 が多発し、ベトナム戦争 に介入したアメリカ軍 でもこれへの対応を余儀なくされたことから、特殊作戦部隊の整備が進むことになった。しかし陸海空軍の主流の将校は特殊作戦への理解が乏しく、特殊部隊を異端視する向きが強く、特に他軍種との統合作戦 には困難が伴った。一方、東側諸国 では、大戦中のパルチザン の経験をふまえて、不正規戦争への介入の必要もあり、大規模な特殊部隊が整備されていた。朝鮮人民軍 は特に特殊部隊を重視しており、韓国国防白書2008年度版によると、過去2年間で6万人の増員をし、約18万人の特殊部隊を保有しているとされている[5] [6] 。
このような軍隊の特殊作戦部隊とは別に、1960年代 後半より、アメリカ合衆国の警察 では、テキサスタワー乱射事件 のような凶悪犯罪に対処するためのSWAT 部隊の創設が相次いでいた。また1972年 のミュンヘンオリンピック事件 を契機として、大陸ヨーロッパ では西ドイツ国境警備隊 のGSG-9 やパリ警視庁 のBRI-BAC のように、単なる凶悪犯対処にとどまらず、対テロ作戦 にも対応可能な法執行機関 の部隊が発足した。これに対し、アングロサクソン諸国 では対テロ作戦は軍が担当することになり、イギリス では陸軍 特殊空挺部隊 (SAS)に対革命戦 部隊(CRW)を編成し、1980年 の駐英イラン大使館占拠事件 でも出動した。またアメリカ合衆国 でも、SASに倣ってデルタフォース が発足した。しかし軍事作戦では脅威を排除するために持てる限りの火力を行使することが当然とされるのに対し、法執行活動の場合、武器使用は最低限に抑えなければ後の捜査 に支障を来すうえに裁判所 でも指弾を受けかねないことから、ロサンゼルスオリンピック を控えた連邦捜査局 (FBI)では、独自の対テロ作戦部隊として人質救出チーム (HRT)が編成された。
日本における特殊部隊 自衛隊 空挺レンジャー課程 冷戦期 陸上自衛隊 では、まず創設直後の1954年 9月に調査学校 を設置して[注 1] 、旧陸軍中野学校 の卒業生を教官として招聘するとともにアメリカ陸軍 特殊部隊 とも連携し、特殊作戦に関する研究に着手した。1956年 、元F機関 長である藤原 陸将補が学校長に補されると、敵後方地域等で情報の獲得や遊撃活動等に任ずる幹部を育成する対心理情報課程 (現在の心理戦防護課程)が開講されたが、この課程は当初、直截的に"SF課程"(Special Forces )と称されていた。
これとは別に、正規戦での遊撃戦要員育成のため、1956年 には、富士学校 でレンジャー 課程が開始された。1958年 には空挺部隊 として第1空挺団 が編成されたが、こちらも精鋭部隊として、特殊作戦への投入も想定されていた。また北部方面隊 でもソビエト連邦軍 の上陸に備えて遊撃戦の準備を進めており[注 2] 、1961年 には、まず倶知安駐屯地 において北部方面総監部第三部に特別戦技訓練隊が設置され、1962年 には名寄駐屯地 に移駐し、1971年 には真駒内駐屯地 で冬季戦技教育隊(冬戦教) と改称された。
この他、海上自衛隊 では第二次世界大戦 に敷設された機雷や不発弾、海中廃棄火薬類に対する爆発物処理 (EOD)を担当する水中処分員 の育成を急いでいたが、当初、アメリカ海軍 ではEOD課程に外国人留学生を受け入れていなかったことから、かわりに、1957年 より、フロッグマン を養成するUDTra(Under Water Demolition Training )課程に留学生を派遣していた。このUDTra課程はNavy SEALsの選抜訓練 の前身にあたるもので、極めて過酷であり、海自からの最初の留学生は訓練中に殉職している。その後、1964年 よりEOD課程への留学生受け入れが開始されたことから、UDTra課程への派遣は行われなくなった。
冷戦後 特殊作戦群(SFGp) 1995年 に閣議決定 された07大綱 において、冷戦 終結など国際環境の変化に対応して、防衛力の見直しが図られることとなった。13中期防 に基づき、2002年 には水陸両用作戦 部隊として西部方面普通科連隊(WAiR) が、そして2004年 には陸自初の特殊部隊として特殊作戦群 (SFGp)が編成された。またこれらに先行する2001年 には、能登半島沖不審船事件 を契機として、海上自衛隊 でも自衛艦隊 の直轄下に特別警備隊 (SBU)を編成している。
2004年 に制定された「特殊作戦隊員の範囲等に関する訓令」において、陸上自衛隊における「特殊作戦隊員」は、下記の4つと規定された[21] 。
空挺基本訓練課程及び別に指定する特殊作戦業務の課程を修了し、かつ、陸上自衛隊の特殊作戦群 に所属する陸上自衛官 空挺基本訓練課程を修了し、かつ、陸上自衛隊の特殊作戦群に所属する陸上自衛官のうち別に指定する者(前号に規定する者を除く。) 別に指定する水陸両用の課程及び別に指定するレンジャーの課程を修了し、かつ、陸上自衛隊の西部方面普通科連隊に所属する陸上自衛官(当該訓練課程を修了した隊員のみで編成される小隊の隊員のうち別に指定する者に限る。) 水陸両用課程を修了し、かつ、陸上自衛隊の西部方面普通科連隊に所属する陸上自衛官のうち別に指定する者(前号に規定する者を除く。) ここで言及されている「当該訓練課程を修了した隊員のみで編成される小隊」は、「特殊作戦隊員の指定等について(通知)」において「西部方面普通科連隊の本部管理中隊の情報小隊又は普通科中隊の小銃小隊(B)」と記載されている[22] 。
また2011年には、航空自衛隊 でも、対ゲリラ作戦 の研究および基地警備隊 への教導を任務とする基地警備教導隊 (BDDTS)が発足した。
なお、西部方面普通科連隊は2018年に編成された水陸機動団 の第1水陸機動連隊 ・第2水陸機動連隊 に改編されている。
警察 日本の警察 では、警備部 にテロ事件の対処を任務とする部隊が編成され、刑事部 に誘拐事件や人質立てこもり事件など、凶悪事件の捜査を任務とする部署が設置されている。また一部の県警察では警備部と刑事部から人員を選抜し、合同部隊を編成している。
警備部 SATによる突入訓練 1977年 のダッカ日航機ハイジャック事件 を契機として、警察庁 は、秘密裏に警視庁 と大阪府警察 に対テロ特殊部隊の編成を下命し、警視庁では第六機動隊 特科中隊(SAP)、大阪府警察では第二機動隊零中隊として発足した。大阪府警察の部隊は1979年 の三菱銀行人質事件 で出動し犯人を射殺、また警視庁の部隊は1995年 の全日空857便ハイジャック事件 で突入する北海道警察 部隊の支援にあたった。そして1996年 、警察庁は特殊部隊の存在を公表するとともに、特殊部隊(SAT) として改編し、東京・大阪以外にも北海道警察、千葉県警察 、神奈川県警察 、愛知県警察 、福岡県警察 の各警備部にも発足することとなった。2005年 には沖縄県警察 にも編成されるとともに、各地の部隊も増強された。
またSATを補完するテロ対処部隊として、各警察本部 機動隊 には銃器対策部隊 、NBCテロ対応専門部隊 、爆発物処理班 が設置されている[27] 。このうち銃器対策部隊は、上記の特科中隊・零中隊の創設に先駆けて、1968年 の金嬉老事件 を契機に警視庁や大阪府警察などに発足した特殊銃隊を前身としており、1996年 に常設の部隊として増強改編された。埼玉県警察RATS のようにレンジャー に準じてラペリング 降下などの突入能力を備えた部隊もあるほか、警視庁機動隊では、銃器対策部隊からの選抜によって緊急時初動対応部隊(ERT) を編成し、即応体制をとっている。
刑事部 熊本県警察 刑事部の人質立てこもり部隊警視庁刑事部では、1963年 の吉展ちゃん誘拐殺人事件 での人質救出失敗を教訓として、1964年 に特殊犯捜査係 を設置した。これは捜査第一課のなかでも、誘拐 や立てこもり 事件、企業恐喝 や業務上過失致死 事件などを扱う部署であり、高度な科学知識および捜査技術に通暁した専任捜査官によって構成されていた。警察庁もこの施策に注目し、1981年 3月までに全ての警察本部に設置された[29] 。
このような所掌をもつことから、刑事 としての捜査 だけに留まらず、人質の身に危険が迫った場合の最終手段として、突入制圧も担当するようになった。警視庁では、1992年 に、捜査第一課の捜査官とともに、SATから選抜した人員を加えて、突入班を編成した。これはSAT隊員の射撃技術などを即戦力として期待した起用であった。
近年では多くの警察本部で刑事部に突入班が編成されているが、名称はそれぞれ異なっており、警視庁では「SIT」、大阪府警察では「MAAT」、埼玉県警察 では「STS」、神奈川県警察 では「SIS」、千葉県警察 では「ART 」と呼ばれている。編成方法も警察本部により異なり、小規模な警察本部では、捜査第一課だけでなく、機動捜査隊 や、更に機動隊員も加えて突入班を編成している場合もある。
海上保安庁 海上保安庁 では、海上テロ 事案などに対処するため、1985年 に関西国際空港 海上警備隊(海警隊)、また1992年 にはプルトニウム 輸送船護衛のために警乗隊を発足させていた。そしてこれらを統合改編して、1996年 に特殊警備隊 (SST)が編成された。
脚注 注釈 出典 参考文献 関連項目