沖縄決戦 | |||
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漫画:沖縄決戦 | |||
作者 | 新里堅進 | ||
出版社 | ほるぷ出版 | ||
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レーベル | 1985年3月20日 | ||
巻数 | 全1巻 | ||
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『沖縄決戦』(おきなわけっせん)は、新里堅進による日本の漫画。太平洋戦争(大東亜戦争)末期の沖縄戦をテーマに制作された作品、1978年月刊沖縄社で発表されたものを、再編集し1985年にほるぷ出版より、「ほるぷ平和漫画シリーズ」第23作目として出版された。
昭和19年(1941年)3月ワシントンDCのポートマック空軍基地でニミッツ提督がアーネスト・キング海軍元帥を訪ねる。そして、ニミッツ海軍大将はキング元帥から統合参謀本部会議の結果を聞く。その結果、台湾を攻略して、中国に上陸する案が中止された。しかし、12月にフィリピンを攻略し、1945年2月に硫黄島を確保する作戦は続行になる。台湾の代わりに、沖縄を攻略する作戦を聞く。
フィリピン攻略はダグラス・マッカーサー陸軍元帥が担当し、ニミッツが太平洋南西諸島から沖縄を攻略する作戦の責任者に任命される。そして、沖縄攻略作戦は日本軍国主義という大きな氷山を突き崩すキーポイントとして、キング大将より、アイスバーグ作戦と命名された。
キング海軍元帥より、1945年3月まで沖縄を占領せよとの命令を受けたニミッツ提督は、ハワイの基地に戻りアイスバーグ作戦の準備に着手する。
昭和19年10月10日午前7時頃から、沖縄県那覇市が米軍の空襲を受ける。マーク・ミッチャー中将の機動部隊から発進した艦載機が那覇市の軍港や飛行場などの軍事施設を攻撃した。午後からは米軍は那覇市内を攻撃し、住民約800人、軍人約200人の死傷者を出した。日本の高射砲による反撃もあったが、嘉手納飛行場の戦闘機1個中隊は米軍の攻撃で破壊され、米軍機の迎撃をすることができなかった。
この空襲は、マッカーサー元帥のフィリピン上陸作戦のために、九州、沖縄、台湾の航空基地を攻撃する作戦の一環であった。
那覇市の90パーセントの5万人が焼け出され、空襲の被災者は県外や沖縄本島北部へ避難することになる。
昭和19年10月13日、マッカーサー元帥の軍団がレイテ島に上陸する。山下奉文大将の第14方面軍が迎え撃つが敗北する。次に、昭和20年2月19日ホーランド・スミス少将の海兵隊師団7万5千が硫黄島に上陸する。3月17日、栗林忠道中将が玉砕して硫黄島が陥落する。その日に、ミッチャー提督の第58機動部隊はウルシーから進路を沖縄方面に向けた。さらに、レイモンド・スプルーアンス提督の第5艦隊の空母40隻、戦艦18隻、駆逐艦200隻と陸軍の艦船を合わせて1300隻近く、またバックナー中将の第10軍の直接戦闘部隊が18万2千、と陸・海の予備兵、戦闘支援部隊を含め55万の兵員が沖縄に迫る。
ミッチャー提督の第58機動部隊が3月23日に沖縄南方海上に到着して、沖縄の空襲を始める。3月24日早朝には、沖縄本島南部沿岸を守備していた日本軍日本軍はアメリカ軍の大艦隊を目撃する。3月26日、早朝米軍の第77歩兵師団が慶良間列島に上陸を開始する。日本軍からの反撃はなかった。
昭和20年4月1日、午前7時20分米艦隊隊の艦砲射撃が始まり、午前8時に水陸両用戦車で沖縄本島の上陸が開始された。上陸部隊の第一波は渡具知、水釜海岸に上陸する。日本軍の反撃はなく、午前10時米第7歩兵師団の先発隊が嘉手納飛行場、海兵隊が読谷飛行場を占領する。バックナー中将は、日本軍の反撃なしとの報告を受け、ウシジマがとてつもない作戦を立てているかもしれないと恐れる。
首里城地下の沖縄守備軍司令部は、米軍の平文の無線を傍受する。牛島満軍司令官と長勇参謀長は、平文の電報を読んで、バックナーが日本軍の沈黙に相当慌てていると笑う。
比謝川北方の青柳連隊と島袋の賀谷支隊(独立歩兵第12大隊)が米軍に反撃を開始する。賀谷支隊隊長の賀谷與吉中佐は、敵が渡具知、水釜方面に上陸しつつあることを報告し、「兵力およそ船7分に海が3分」と報告する。
4月6日に菊水1号作戦が発動され、戦艦大和を旗艦とする8隻の海上特攻隊が瀬戸内海の徳山港から、沖縄を目指して南下する。大和ら8隻は豊後水道を抜けた直後に、米潜水艦に発見される。4月7日、14時23分に沖縄から丸一日の航程の地点で、米軍機の波状攻撃により僚艦4隻と共に沈没する。
4月4日北谷村で井戸水を汲みに来た宮城太郎は2名の米軍兵士に遭遇する。空手で抵抗の意思表示をするが捕虜になる。宮城は英語が話せることを見込まれ、北谷村浜辺のキャンプに連行される。そこでヘンリー中尉に出会う、宮城はヘンリー中尉より、民間人を救うための説得係を頼まれる。
3日後、民間人が立てこもる壕に投降を呼びかける。宮城が必死で沖縄の方言で説得したことにより、住民が投降することになる。この時、宮城は沖縄人を一人でも多く戦火から守ろうと決意する。
4月1日米軍は無傷で嘉手納飛行場を占領した。大本営は飛行場奪回を命じ、32軍はしぶしぶ持久戦をやめて、攻勢にでることになる。陸・海・空で反撃(菊水作戦)を行い、神風特別攻撃隊がその主役を演じた。4月6日、7日、8日に特攻機が鹿屋基地を飛び立つ。
沖縄戦では1900機が特攻作戦で海上に散る。米海軍は撤退も考えるほど衝撃を受ける。
ガイガー将軍の率いる、第3海兵軍団が、北飛行場と中飛行場を占領する。4月3二飛には恩納村と石川を結ぶ地点である仲泊に到達する。
この一帯ににいた岩波大尉の第4遊撃隊がゲリラ戦などで進撃を遅らせた。4月7日にガイガー将軍は名護の町を占領する。