梅小路蒸気機関車館 Umekoji Steam Locomotive Museum | |
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施設情報 | |
専門分野 | 交通 |
事業主体 | 西日本旅客鉄道(JR西日本) |
管理運営 | 公益財団法人交通文化振興財団 |
開館 | 1972年(昭和47年)10月10日 |
閉館 | 2015年(平成27年)8月30日 |
所在地 | 〒600-8835 京都府京都市下京区観喜寺町 北緯34度59分13秒 東経135度44分34秒 / 北緯34.986944度 東経135.742833度 / 34.986944; 135.742833 東経135度44分34秒 / 北緯34.986944度 東経135.742833度 / 34.986944; 135.742833 |
外部リンク | 梅小路蒸気機関車館(JR西日本) |
プロジェクト:GLAM | |
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梅小路運転区 | |
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基本情報 | |
鉄道事業者 | 西日本旅客鉄道 |
帰属組織 | 近畿統括本部 |
所属略号 | 梅 |
配置両数 | |
蒸気機関車 | 5両 |
内燃機関車 | 2両 |
合計 | 7両 |
備考 | 2014年4月現在のデータ |
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梅小路蒸気機関車館(うめこうじじょうききかんしゃかん、英語: Umekoji Steam Locomotive Museum)は、京都府京都市下京区観喜寺町にあった蒸気機関車専門の鉄道博物館。西日本旅客鉄道(JR西日本)が所有し、公益財団法人交通文化振興財団が運営していた。
2015年(平成27年)8月30日をもって一旦閉館し、拡張を伴うリニューアルにより2016年(平成28年)4月29日に京都鉄道博物館として新たにオープンした。本項目では京都鉄道博物館については該当記事に譲り、「梅小路蒸気機関車館」時代について記載する。また、リニューアル前の梅小路運転区についても記述する。
1968年(昭和43年)3月26日の日本国有鉄道(国鉄)常務会で、1世紀にわたり日本の鉄道輸送を支え続けた蒸気機関車が1960年代後半以降は急速に姿を消していくことに対し、貴重な産業文化財と位置づけをした上で動態保存を目的とした日本初の施設を設置することが正式決定された。
上述決定を受けて1972年(昭和47年)10月10日に国鉄により日本の鉄道開業100周年を記念して京都市下京区にある梅小路機関区の扇形庫を活用して開設された。
保存対象車両は原則としてその当時現存していた最若番車(できれば1号機)を選定するものとして当初12形式[1]が選定されたが、その後、小山機関区より車両収容力が大きいため再検討が重ねられた結果、16形式17両に拡大された。
1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化によりJR西日本に承継された。また本施設自体が(閉館・京都鉄道博物館への改組後も)現役の車両基地(梅小路運転区)であり、蒸気機関車のほか嵯峨野観光鉄道で使用するDE10形ディーゼル機関車が所属し、検査・修繕も行なわれている。
なお、隣接して京都市の梅小路公園(総面積117,133m2)があり、京都市電の車両が8両保存されている。このうち狭軌1形電車27号(旧京都電気鉄道車両の復元車)が動態展示され、他に7両が静態保存されている。
2014年(平成26年)10月25日放送NHK総合テレビ『妻たちの新幹線』をはじめ、ドラマ撮影などにも使用されることがあった[2][3][4][5]。
年末には鉄道友の会京都支部の手により、機関車への「しめ縄飾り」が行なわれ、京都新聞に毎年掲載されていた。
国鉄公認の後援団体として「梅小路の蒸機を守る会」が設立されており、第三展示館入り口横で日曜等に入会受付のテーブルをだしていた。年会費400円で会員書と記念メダルが貰えて、会員は団体料金で入館できた。会の行事としては毎月の「プレートみがき」があり、保存機関車の前面ナンバープレートをピカールで磨いた。参加会員には会員有志から提供された自家製焼付け写真がもらえる事があった。一般参加の行事として毎年秋に「京都市教育委員会公認・サクラクレパス他協賛」の写生大会(記念品有)を主催している。入会会員の減少と、スタッフ不足(無給のボランティアだった)そして唯一の収入源であった絵葉書(6枚1セット100円)の売り上げ低迷のため昭和末期に活動停止・解散となっている。
閉館時点で、旧梅小路機関区の扇形庫および転車台を活用した「蒸気機関車展示館」と、旧二条駅舎を移築・復元した「資料展示館」からなっていた。
扇形庫は1914年(大正3年)に建設された鉄筋コンクリート造で、2004年(平成16年)12月10日に5t電動天井クレーン(1915年(大正4年)完成)、引き込み線とともに国の重要文化財指定ならびに土木学会選奨土木遺産に選奨された。
2006年(平成18年)にはJR西日本により、旧二条駅舎(展示館)と扇形車庫・保存されている蒸気機関車一式・点検修理の工具一式などが、準鉄道記念物に指定された。
旧二条駅舎は、1904年(明治37年)に京都鉄道が本社社屋を兼ねて建設した日本現存最古の木造2階建和風駅舎で、景観に配慮しながら平安神宮を模して造られた。
1996年4月に京都市の有形文化財に指定された。
扇形庫には、蒸気機関車18形式20両(開館当初は16形式17両)が収容・展示されていた。
車両基地としての機能を有し、営業線とも接続されていた。さらに1997年からは蒸気機関車の検査・整備を鷹取工場より移管している[14]。
施設の中央に位置している転車台(ターンテーブル)は第二次世界大戦期間中に原子爆弾の投下目標になっていた。
「梅」…梅小路を意味する「梅」に由来する。
梅小路機関車館内にある片道500mの展示運転線を用いたSL列車で蒸気機関車が専用の客車2両をけん引して往復し、牽引機はC62形 (C62 2) 、C61形 (C61 2) 、D51形 (D51 200) 、8620形 (8630) のいずれかが担当していた(D51 200は2014年10月に本線復帰が発表されて以降、8630は2015年2月に担当後、C61 2は2015年4月に担当後、整備のためそれぞれ担当から離脱している)。またこの指定牽引機以外の他の機関車がSLスチーム号の牽引を担当することがあった。
運転時刻は11時・13時半・15時半であるが人が多い場合は何度も往復する事があり、3回目の運転後には機関車に石炭や水を補給するため、ターンテーブルで蒸気機関車が回転する姿を見ることができた。ちなみに梅小路からの出発時は配線の関係から推進運転となるため、注意喚起ブザーを数回鳴らしながら発車していた。
京都鉄道博物館でも引き続き運行が行なわれているが、客車については再オープンに際してリニューアルされている。
梅小路蒸気機関車館の一角に設けられた延長500mの展示線で、SLスチーム号の構内運転に使用されていた。この展示線はこれまでに3回程位置と線形が変化しており、変化は以下のとおりである。
ほとんどの車両が、1972年に前所属機関区から現役車両として転属の手続きがとられている[23]が、一部は当初から無車籍・静態保存だった。
1976年(昭和51年)に指定されていたC62 1、2009年(平成21年)に譲り受けた1080を除く全車が、2006年に車歴簿・保守用工具とともに準鉄道記念物に指定されている。2014年に交通科学博物館から移設された7105(義経号)も、それ以前の2004年に鉄道記念物に指定されている。
2015年8月30日現在の配置車両は以下の7両である[24]。
B20 10と8630の2両が、車籍は有しないが動態保存されていた。7105も2014年10月10日に動態復元された。
「◎」は、入館当初から静態保存であったもの。
いずれも閉館時点(梅小路京都西駅の開業は京都鉄道博物館へのリニューアル後の2019年である)。
2009年2月23・24日の複数の報道によれば、交通科学博物館が老朽化し、手狭となっているため本施設を拡張して新しい博物館を建設。車両などの展示品の一部を交通科学博物館から新博物館へ移転し、交通科学博物館については規模を縮小すると報じられていた[37]。そして、JR西日本は2012年12月19日に、2016年春をめどに新しい鉄道博物館を建設する計画を正式に発表した[38][39]。それによると、地上3階建てで延べ床面積18,800平方mの建物を新築し、交通科学博物館から移転する車両も含めて約50両の車両を展示するとしていた。これに伴って交通科学博物館が2014年4月6日に閉館した[40]。そして2013年12月19日に館の名称が「京都鉄道博物館」に決定したとのJR西日本からの公式発表が行なわれた[41][42]。
梅小路蒸気機関車館は、2015年8月30日をもって一旦閉館し、2016年4月29日に併設される新館と合わせて京都鉄道博物館として再発足した[43]。
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