柴田 勝春(しばた かつはる、生没年不詳)は戦国時代の武将。通称五右衛門。柴田勝家の子または甥[1]。
柴田勝家に仕えた。『士林泝洄』によれば父は勝家庶兄と伝わるが[2]、実子(勝家の五男)とする説もある。
天正11年(1583年)北ノ庄城落城の際、勝家は自身の肖像画を描かせ勝春に託したと言う。勝春は極めて幼かったが家臣らに連れられ脱出した [3]。
勝春の子の弥左衛門は徳川義直に仕え、子孫は筑後柳川藩立花家に仕えた [4] [2]。